ありのまま

 

 

 

あることがキッカケで想いがどわっと込み上げてきたので、ぶわっと書き上げました。

 

いつも通りの文章じゃないですが、そんな文章も受け入れてくれると嬉しいです。

 

 

 

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満足だった。

 

そこそこ裕福な家庭に生まれて、勉強も運動も特に何不自由なく22年間過ごしてきた。親友と呼べる仲間や尊敬できる先輩方、慕ってくれる後輩にも恵まれた。本当にありがたい。




野望があった。

 

「心震える感動体験を創る。」

それが自分のビジョンだった。社会人経験もなく、21年間しか生きていないフツーの大学生が、これまでの経験をもとに頭を弄り返し、自分の想いを言葉にし、数多くの体験を提供してきた。それの繰り返しによって形成された確固たるビジョンだった。




自信もあった。

 

吸収力が自分の強みであり、器用かつ真面目で大抵のことはそつなくできた。相手の言うことを素直受け入れるだけの寛容さや成果に対して努力する粘り強さがあると自負していた。

 

だからこそ、イベントの主催やサマーインターンの優勝、学生団体の再建、営業、一人旅、ヒッチハイク、動画編集、ブログ執筆も、大変ではあったがそれほど難しいものではなかった。




でも、1人だった。

 

誰にも頼れなかった。友人にも、先輩にも、親にも。悩みを打ち明けることも相談することもできず、1人で考えて、1人で行動し、1人でここまで頑張ってきた。




言い聞かせてきた。

 

強くなければ、努力しなければ、行動しなければいけない。常に笑顔でフレンドリーで元気でやる気に満ち溢れていなければ。そうしなければ、結果は出せないし、そうじゃないとダメだと思い込んでいた。




よく言われた。

 

「もっと弱みを見せた方がいい。」「もっと弱みも見せて欲しい。」と言われることがあったが、弱い自分は改善しようと努めてきたし、その努力は常に怠ってなかった。だからこそ抱え続けている弱みはなかった。




よく聞かれた。

 

「なんでそんなに頑張れるの?」「どうしてそんなに頑張るの?」とか聞かれることがあったが、それが自分なりのスタンダードだったし、「頑張るべきものは頑張るもの、そういうものじゃん。」という意固地な回答しかできなかった。

 

モチベーションの源泉なんて知ったこっちゃなかったし、もはやマゾヒストなんじゃないか疑っていた。




だからなのか、ふと涙が流れることがよくあった。

 

普段はドライであり、嫌なこと面倒なことがあっても、その感情を押し殺し、淡々と行ってきた。そっちの方が、楽だから。感情に左右されず、一喜一憂することもない。

 

でも、だからなのか、ふとした瞬間に涙が溢れることがよくあった。普段から一緒にいる人には、「泣き虫」とか小バカにされることも多かった。「我慢しろよー。」「なんでこのタイミングw」って。

 

自己内省AIを搭載している自分にとって、それは改善すべき弱みであり、極力我慢していた。




そんな自分に疑問を覚えた。

 

嫌なことも鉄の心で素直に受け止める。弱みがあったら改善しようと努力する。何かを感じたら、その理由の言語化に努める。伝えるべきことは伝え、そうでないことは心に秘めておく。そうやって、ここまでやってきた。その経験には自信がある。

 

ただ、これが人間らしいかには自信がない。




もっと素直でありたい。

 

「抱え込み過ぎてる。」

友人の何気ない一言がなぜか胸に刺さった。自分の感情に素直になりきれず、頭であれこれ考えて導き出そうとする癖が染みついている。

 

「今考えてることを素直に言ってみて」

つい考えてしまう自分にとってこれは意外にも難しいことであり、いつもの流暢でそれらしいことを述べる自分ではなく、いつになくたどたどしい口調になってしまっている自分がいた。




でも、そんな自分でも受け入れてもらえそうだと、少しだけ感じた。

 

もっと強く、もっと賢く、もっと明るく、もっと面白い自分でいなければ、ダメ。そのために泥臭い努力をしないと、ダメ。それを守らないと、ダメ。そんな風にダメダメレッテルを貼り続け、走り続けなければ、ダメ。

 

そう思っていた自分にとって、何らかのブレイクスルーが起きた。

 

そのままでいいのかもー、って。ありのままで受け入れてもらえそうだって。それがすごいありがたいなって。




それでも、まだまだ怖くって。

 

「こーゆーこと言っちゃうのがまだまだ子どもだねー。」って大人から軽んじられるのが怖い。

「酔いしれてるわー。」って同級生に非難されるのが怖い。

「驕ってんなー。」って後輩に叩かれるのが怖い。

文章の各所で「絶対そうじゃねーやろー。」って否定されるのが怖い。

 

だからもっといつも通りヘンテコな文章でカモフラージュしようとも考えたけど、それじゃ、ありのままじゃない。多分、そのままを受け止めてくれる人がいて、何か届けられる想いがあると信じ、ありのままで書こうと思いました。




最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




またいつも通りのヘンテコな文章を楽しみにしててくれると嬉しいです。