【おみくじはクソ⁈】おい神ぃぃい!ホントウに”沈黙は金”なんですかぁぁあ!
明けましておめでとうございます!
から早2カ月半が過ぎた。早い。実に早い。春先に冷やし中華始めるくらい早い。
まさに光陰矢の如し。歳月人を待たず。光陰も歳月もせっかちで、多分エレベーターの閉めるボタン連打するタイプ。
正月もあっという間だった。正月は毎日がスペシャルだった。
豪勢なおせち。心躍る福袋。帰ってきた友達との飲み会。実家でのんびり過ごすアルバイト。
そんなスペシャルの正月の中で最もスペシャルなのは、間違いなく「おみくじ」だ。
「おみくじ」程スペシャルなものはない。
巫女さんのコスプレをした若い女性が働く祭祀施設の神社という異空間で、大吉を引かんと等賞順位を争う。大吉を引いたときの高揚感は何とも言えぬエクスタシー。誰しも一度は経験があるだろう。
まさに神社とは賭博を主とした娯楽場。いわゆるカジノだ。
なので神社でおみくじを引くという行為は、ギャンブルに等しい。
そしてこの私は、大のギャンブル好きだ。
ガリガリ君の当たり棒は何度も引き当ててきた。ヤッターメンで引いた当たりで無限ループを繰り広げたこともある。ライアーゲームは毎週欠かさず視聴していたし、映画だって全部見た。カイジに感化され、公園の平均台渡りにハマった。「ざわざわ」はもう口癖だ。あとじゃんけんも結構強い。生粋のギャンブラーなのだ。
そんな私はギャンブル性の高いおみくじを楽しみにしている。おみくじは神の啓示だ。生きる指針を与えてくれる。おみくじを心の拠り所とし、おみくじの指し示す行動原理を信じ、今年を生きていく。おみくじが人を幸せにしてくれる。
だからこそ、おみくじで引き当てるのは大吉でなくてはならない。もし仮に凶を引き当てたら、たぶん今年はチャリに乗るたびに大きめのカナブンにぶつかる。それは避けたい。大吉を引きたい。
「今年を幸せに生きるために、必ず大吉を引き当てる!」
そう意気込み、おみくじを引いた。
おみくじを開封し、
恐る恐るめくってみると、
大吉
大吉を引き当てた。
引きが強い。引きが強い。引きが強い。
4回目にして引き当てた。
読んで字のごとく強引に引き当てた。
さぞかし大吉味溢れるありがたいお言葉が書かれているのだろう。さあ読むぞ。
「あなたの花はアマリリスです」
初めましてアマリリス。
初めて見たがキレイな花だ。それに大吉に添えられている花だ。さぞかしい良い花言葉に違いない。
ユリは「純潔」、バラは「愛情」、オリーブは「平和」。アマリリスもきっとそういう感じの。
「おしゃべり」
ダセぇ。くそダセぇ。おしゃべりクソダセぇ。
しかし、これが神の啓示だ。神が間違っているはずがない。今年は「おしゃべり」の一年だ。よし、しゃべるぞ。しゃべりにしゃべってしゃべり倒す。ツバ飛ばしながらしゃべってやる。
と意気込んだ矢先、
「『沈黙は金』という諺があります」
矛盾。
いや、先程あのアマリリスからしゃべれと言われたのにばかりなんですが。
沈黙は金。言い換えると、うるさい奴だまれ、だ。
確かに、「雄弁は銀、沈黙は金」という諺は有名である。
「あの人黙っていたらカッコいいのに。」「あの子しゃべらなかったらカワイイのに。」なんて言葉をよく耳にする。雄弁のマウントを取る沈黙。強く淀みなく語る「雄弁」よりも、腕を組み眉間にシワを寄せ黙り込んでいる「沈黙」の方が価値があるとされている。
しかし、果たして本当に「雄弁が銀、沈黙は金」なのか。
普段から「沈黙は金」を意識したほうがいいのだろうか。大学の講義中も、アルバイト中も、飲み会中も、腕を組み眉間にシワを寄せて黙り込んだ方がいいのだろうか。いや違う。そいつはおそらく近寄っちゃダメなタイプの人間だ。それは避けたい。
では、どうすればいいのか。もう一度おみくじを見てみる、
「心美しく余りおしゃべりしないで物事を控え目にしましょう」
なるほど。
心美しく余りおしゃべりしなければいいのだ。ち〇ことか言いたい気持ちを抑え、オ〇ニーなんて書かずに心美しく、清らかに、奥ゆかしく、余りおしゃべりせず。沈黙だ、やはり沈黙。雄弁は銀で沈黙は金だ。
よし、分かった。じゃあ腕を組み眉間にシワを寄せ目をつぶって黙り込もう。
・・・。
・・・。
理性「(本当に沈黙って金なのかなぁ?)」
黙り込むと理性の一言で急に脳内会議が始まる。
ネガティブ「(当然よ。しゃべれば否定されるかもしれないでしょ。)」
ポジティブ「(そんな訳ない!しゃべるからこそ相手に気持ちを表現できるんじゃん!)」
記憶「(確かに今までにしゃべって否定されたことはあります。ただ、しゃべったからこそ相手に想いが通じ、事態が好転することも多かったです。)」
理性「(そうだよなぁ。確かにしゃべることも大事だよなぁ。)」
目を開け腕組みを解き、大声で一言。
「雄弁だって銀!銀相当の価値はあってしかるべき!」
ビックリさせてごめんね、隣のおばあちゃん。
自分の素直な気持ちってなかなか口に出して表現できない。笑われるかもしれないし、否定されるかもしれない。だから辛く悲しくても我慢して笑顔振りまいて。
そうやって我慢した行き場のない気持ちが、
食に向かうと、暴飲暴食に走り
相手に向かうと、悪口になり
自分に向かうと、自己嫌悪に陥る。
だからこそ、自分の気持ちに向き合い、表現することが大切である。
雄弁だって銀なのだから、もっと自分のことを口にするべきなのだ。
とか言っても他人の恨は受けたくないです。沈黙します。アーメン。